磨くとさえる
訳もなくザワザワしたり、
何となく欝々したり時に
私は無意識に台所のシンクや洗面台などを磨いています。
始めは惰性でやっていた事も
キレイになるにつれて楽しくなってきて
すごく集中してきます。
そして集中している内にザワザワや欝々な感じが収まっていきます。
ただ目の前の汚れを落とす単純な事に熱中してると冷静で客観的な視点が帰ってきます。
そしてそこで、改めて自分の混乱していた声に気付きます。
目を通していない書類、
返信していないメール、
決めなくてはならない予定
何も出来ていないのに何から手を付けて良いのかわからない状況
すると焦りや、無力感と同時に思考の声が聞こえてきます。
「ダメだ!いつも的外れで何も進まない」
「そんな事だから何をやっても上手くいかないんだ!」
この馴染みのある声の主は
私の中に長い間住みついていて
ことある事に私を叱咤と言うか、
今風に言えばディスってきました。
この声は、いつも瞬間的に起こり
それを私は当たり前の様に信じ
すっかりと同化しているため
ディスられた事さえ気が付かないで
結果、訳もわからずザワザワしたり
欝々とした感覚だけを感じていました。
でもそんな事が起こっている過程が
汚れ落としに集中していると良く見えて来るのです。
そして、その声がもうあまり力を持たなくなります。
的外れで何をやっても上手くいかない
ダメな自分に真実味がなくなり、
それはただのディスる声の意見に過ぎなくなります。
それでも無意識に自分をディスる声は
まだまだ日常的に多く聞かれます。
そしてその声を信じてザワザワしたり、
モヤモヤしたりして胸を痛めたりします。
無意識にしていた水場の掃除が
私にとっては自己観察になりましたが
人それぞれ夢中になれる事で
ディスる思考の声に遮られない
自分の本質のエネルギーを感じられるのでは…。
禅僧がお寺をピカピカに掃除して修行するのも納得です!