恐れを隠すために
先日「グリーンブック」と「ブラッククランズマン」の二つの映画を続けて観ました。
両方とも実話を基にしたアフリカ系アメリカ人への人種差別をテーマにしたものでした。
「グリーンブック」では1960年代中盤に黒人の天才ピアニストがイタリア系の白人運転手と共に全米を演奏旅行する話です。
主人公のピアニストはその才能を認められ、上流社会に招かれながらも差別を受けていきます。
一方、「ブラッククランズマン」では、黒人の刑事が、白人至上主義の秘密結社である「KKK」へユダヤ人の同僚の協力を得ながら潜入捜査していきます。
主人公が電話で白人のふりをして差別的な会話を「KKK」の人達として信頼を受けて行くのですが、それがあまりにも自虐的過ぎてコミカルに描かれていて笑えた。
両者ともアカデミー賞を受賞したり、ノミネートされているだけあり見応えがあって面白かったです。
今回私が、この2つの作品で感じたのは差別する側の強い恐れです。
今まで、権利を持っていなかった人達が、自分達と同じような権利を持ち、自分達の領域に生きていく事への何とも言えない深い恐れです。
それが人によっては暴力的な怒りになり、組織を組んだりします。
また時には古き良き伝統を守る父親や夫、強いリーダーとしての形をとる事もあります。
どちらにしても、自分の中の恐れを認めたり、向き合ったりする事が出来ずにその逆の強い姿でいようとしています。
でももし、彼らが自分の環境が変わって行く不安や恐れをしっかりと受け止めて、その恐れている事が現実に起こるのかを冷静に見つめる事が出来れば、表面上の強さは必要なかったでしょう。
ただそれに向き合う勇気や強さが無いために、湧き上がる恐れを抑圧する表面上の形を取らざるを得なかったのでしょう。
彼らが、頭の中での恐れのストーリーをすっかり信じて冷静さを失い、過剰な防衛している事は、現在の私たちから見れば一目瞭然です。
でもこれは、エゴの性で誰もがいつでも陥ってしまう事なのかもしれなと思いました。
「ブラッククランズマン」の中で白人至上主義の議員が「アメリカ第一!」とまるで現大統領の様に叫ぶシーンがとても印象出来でした。